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日本映画の新しい流れ

     

 

“既に進行していた 新しい流れ”

 

 日本アニメーションの新しい試みだけでなく、実写の日本映画もじわじわと新しい作品が出てきている。なかなか“TVの家来”から脱することができなかった証拠で、結局時代の流れからは遅れてしまった。気がつくのが遅いんだけど、店には旧媒体の露出頻度(宣伝)とは無関係と思われるタイトルがけっこう並んでいる。今回ページにまとめたのは、インターネットで情報収集している人たちにとっては、“既に進行していた流れ”かもしれない。ドキュメンタリーではあるけれど、今までとはまるで印象が違う。映像素材の提供に徹して、可能な限り考える契機を持ってもらう、身近な現実を感じてもらう為の映画と言ったらよろしいでしょうか。

 

 ナレーション、音楽など観客の印象に方向づけをする演出がほとんどない。だから以下に記す文章も“そう言えば思い当たること”で、作品の評価とは無縁です。しかし自分の住んでいる国について知る材料にはなって、それが共通している傾向なのかもしれない。有名どころが描いた「MY HOUSE」とか「恋の罪」だけでなく、「 ビューティフル・アイランズ〜気候変動 沈む島の記憶〜」の時に分かってなきゃいけなかった。日本映画は産業化した合衆国産や韓国産とは違って“世界の映画から”の一つ。岩井俊二の「ヴァンパイア」新海誠「言の葉の庭」は21世紀に即していて、日本映画に見えない「カリーナの林檎 〜チェルノブイリの森〜」は世界が待っている1本なのだ。
(7/9/2013)

 

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  選挙

 

 選挙には30を過ぎてからは必ず行くようになった。県知事選も市長選も衆議院選も欠かしたことがない。支持政党がないので、私の一票は浮動票としてカテゴライズされるのだろう。候補者を選ぶ基準は以前だったら選挙カーが通った途端に、“その人に入れるのは止め”にして残りの候補から決めたりした。といった具合に不遜な有権者で、権利は行使するけれど、政治家は嫌い。映画を観続けたおかげで、TVで人々が候補者と握手している映像を見ると、“大便を素手で握ってやがる”とまで思う偏見の持ち主。そういう人間が本作を見て、心を入れ替えるかというとそんなことはない。しかし選挙ポスターをしげしげと眺め、インターネットで候補者のページをじっくり読み、彼らを知るために時間を割くようになったのだから効果がある。

 

 政治家の使命感を疑わないのは、“人々を苦しめるために”政治家を志す人はいないわけで、全員“良かれ”という信念に基づいて行動している。そして信念を貫くためには選挙に勝たなければ話にならないし、そのためにはものすごい数の人と会って、自分を知ってもらう必要がある。本作の山内和彦候補もだんだん顔つきが変わってくる。ジョージ・クルーニー「スーパー・チューズデー〜正義を売った日〜」で、候補者が堕ちる瞬間を映画にした。政治家が良かれと思ってしていることが、誤った方向にいくのが危険なのは歴史に記されている。ドイツの独裁者がそうだし、鉄の女も旗色が悪いのはそのせいだ。共通しているのは主張していることが魅力的で、人を惹きつけること。小泉純一郎を映し出すのではなく、彼の登場にどれだけの人が集まったのかは記録として重要。

 

 よく読む内田樹氏のブログでも取り上げられていたし、都内のミニシアターで「Peaceピース」の予告も見ていたけれど、スルーして損した想田和弘。映画監督の資質は対象の山内候補が写っている場面ではなく、それ以外に発揮されている(と勝手に解釈)。ICカード導入前の自動改札などは図らずも映画が刻んでしまう時代記号で、満員電車に押し込まれる人々も、人口減少局面に入っている日本でこの後また見られる光景なのか。焼き鳥屋のおっちゃんとか素晴らしい描写で、列車の撮れる監督は一流なのだも証明している。
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  孤独なツバメたち~デカセギの子供に生まれて~

 

 派遣会社に登録していて、コンビニの冷凍・冷蔵商品を扱う加工所に行ったことがある。そこでは東南アジアから来ている人達が働いていて、イスラム教徒もいた。「ラマダン=断食なので、今日は彼は来ない」などと聞いて、なるほど日本に出稼ぎに来ているのはタイ、フィリピンだけではないんだなと知ったのは今(2013年)から3、4年前。かれこれ20年くらい前には自動車部品の下請け工場で働いていたのはタイ、フィリピンから来た出稼ぎ労働者。弟が働いていた工場にブラジル人もいて、高校時代に弾いていたベースをあげたんだっけ。その彼はYMOを知ってると聞いてなるほどと思った。

 

 今ではモンゴル人が国技を戦っていて、牛丼を運んでくるのは中国人で、都内などは中近東の人がコンビニで働いている。AM6:00頃にinter FMを聞くと多言語だし、京急品川駅の表示版は日本語、英語、中国語、ハングルと順に出てくる。中国人が容易に日本の仕事に就けるのは、文字が彼らのもの“漢字=China letter”だからだ。東京のレンタル店にいた時は中国人と一緒に働いていたし、彼らは文字が読める強みを生かして東京だけでなく、比較的日本人の占める割合が多い神奈川県にも進出している。もっとも横浜には中華街があったわけだけど。六本木で少年時代を過ごし、現在は横須賀在住なので、日本人ばかりの土地だと落ち着かない。

 

 そういった人間が本作を見ると、描かれている若者たちが悲劇の主人公には見えてこない。モノの言い方に意志が感じられるし、特典映像で岩井俊二が触れているけれど美男美女ばかりだ。「それでも生きる子供たちへ」で、ブラジルの兄妹には何ものにも代え難いエネルギーがあって、涙が止まらなかった。翻ってニューヨークに暮らす少女には未来がない。リーマン・ショックは全世界に影響を及ぼして、麗しきグローバル経済の醜い一面を顕にした(「マージン・コール」を参考までに)。もっとも口実にして首切った管理職もいたはず(「マイレージ、マイライフ」を参考までに)。

 

 詳細分析するには時代の流れが早すぎる。“逆境を糧にする”などということではなく、現実に触れた出稼ぎの子供たちには、身に染みる情報の蓄積がある。これは後々強みになるだろう。“したいことが分かんないんですよ”などとほざいている日本の大学四年生だけでなく、バイタリティを失ってしまった民族に・・・。「月はどっちに出ている」も同時に見たので、“日本の裏側”というのではなく実像を知る良い材料になった。少なくとも彼らの全員が幸福になりはしまいが、チャンスがあればそれを掴むだろう。

オススメ★★★★☆

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  子どもたちの夏 チェルノブイリと福島

 

 この優れたドキュメンタリーは涙を誘わない。放射能汚染された“いわき市”で、現実に生きる母と娘が映し出される。また25年前に事故に見舞われたチェルノブイリ、その周辺に暮らす人々も出てくる。これらは素材で、見ている人々がどう受け止めるかに託されている。劇映画には作り手の意図がどうしても表れてしまう。TVのドキュメンタリーだと、液晶画面の成せる技で、強烈に伝わってしまい視聴者に“悪い誰か”を探す心理を生み出す。放射能については「100,000年後の安全」で描かれたように、その期間は人類の歴史を凌駕する。「チェルノブイリ・ハート」のような現実を見せられてしまうと、思考停止を生む。

 

 ぜひ作品ホームページを参照していただきたいんですけれど、本作はチェルノブイリのことを伝える目的で作られていた。ところが福島で事故が発生し、変更を余儀なくされたのだ。それは「カリーナの林檎 〜チェルノブイリの森〜」と同じで、けっきょく身近に起こらないと他人事。“厳然とある事実”を忘れ、平凡な日常生活を送っている。登場するロシアの原子力物理学者が自信を持って、原子力は不滅と言い放っている。事故も日本人なら乗り越えられると慰めてくれるけれど、彼の知っている日本人はもういない。規律を重んじる国民は何処かへ行ってしまったのだ。

 

 原子力発電は我々の社会が巨大なエネルギーを必要としている以上、避けられない。原子力発電の存在云々より、“巨大なエネルギーを必要とする構造を改革する”ってお題目なら、我々が頭上に頂いている人々も、嬉々として取り組むかもしれない。いわき市の母子に酷な日常を送らせている原因に、私も加担していたんだから、せめて・・・。懸念材料の一つくらいは解消して、辛抱というより、日本人の得意技=元々無かったことにして、偽りの繁栄を忘れ去っても良いのでは?厳しい現実はすぐに忘却の彼方に行ってしまうけれど、“昔は良かった”という思い出はいつまで経っても心に留まるからね。
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