ミニシアターと私3
私にとってミニシアターとは何だったのか?
“ミニシアターという呼称は曖昧だ”と最初に書いているんだから、確固とした定義じゃないのはよく分かっている。嘆いたところで時代の流れには敵わないのは昨今身に染みる。トシ取りゃあ嫌でも景色が変わって、唖然とすることに出くわすのも慣れっこになっちゃった。ただし、人は流されるのが世の常だとしても、受け手に甘んじてばかりだと、訳が分からないまま呆然とした場所に放り出される。
よって以後振り返った時のために記しておくことにする。1/7に閉館を知ったシネマライズの前まで行って、その姿を納めてきた。上記の写真がそうなんだけど、もうこの景色は今後存続しない。外に人が溢れるくらいに人が集ったシネマライズ(「アメリ」、「ムトゥ踊るマハラジャ」)。ただ同時期に存在していたシネコン以前の大劇場(渋谷パンテオンとか)で、そんな現象はあったのか?
“役割を終えた”とは大雑把なんだけど、1000人単位で人を集められる劇場から映画好きを引き寄せたのがミニシアターで、それはその後出現してきたシネコンが引き継いでいる。現在のシネコンは座席数からすれば、ほとんどはミニシアターのそれと大差ない。また“各界入れ替え制”と“座席指定”はその起源を求めるとすれば、ミニシアターに端を発した流れとなる(ミニシアターと私2をご参照ください)。
結果として映画サイトに投稿する人々などが分かりやすいけれど、好きで仕方ない人だけが映画館通いをせっせと今日も続けている。もはやふらっと映画館に入った経験を持つ人々は中年以上。ココで観たという記憶を後生大事にしている世代もやがては・・・。そりゃあね、電車の中でだって映画を見られるし、時も場所も選ばないのが今ですよ。
だからかなぁ、2013年にあった「風立ちぬ」、「かぐや姫の物語」、「SHORT PEACE」が“日本人に日本を思い出させる”作品と思ってたんだけど、“映画館で映画を観る”ことすら消失するかもという危機感を伴って作られたのでは?と昨今気になって仕方ない。映画館をなくさないために急いで「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」も「007/スペクター」も作られているのか。
でもね、ホントに後々記憶として残る作品は劇場観賞するしかないのです。タブレットで見る映画は映像コンテンツの一つに過ぎず、その持っているスペックは十分に活かされない。真っ暗闇にいる観客を想定している以上、映像も物語もTVドラマより内容は濃いのです。それに加えてミニシアターは劇場の名前がより記憶に刻まれると言ったらよいのかな。
(1/7/2016)
スクリーンと観客数と真っ暗闇
ミニシアターが消えつつあることを、嘆いたところでどうにもならなくて、変化する環境に合わせて映画を観ていくしかない21世紀。現在のシネコンは観客数の多い作品が、大きいスクリーンを使うということになっているし、文句のつけようもない。ところが「そして父になる」を、シネコンの一番スクリーンがでかい劇場で観ていてアレ?となった。是枝裕和の作品は渋谷のシネマライズで「ワンダフルライフ」、「大丈夫であるように-Cocco 終わらない旅-」を拝んだせいか、大きすぎる気がしたのだ。そして「リンカーン」が小さい方だったのにも、うーむ・・・とスッキリしないものが残った。ま、あくまでも感傷に過ぎないので、若い人はピンと来ないかもしれません。
ただシネコンが台頭する前は劇場選択とはスクリーンの大きさも含まれていた。ぴあ(映画雑誌の代名詞)で探す場合、なるべくデカイ画面のところを優先していたものだ。現存する映画館でそれができるのは、一日中同じプログラムを上映する有楽町の丸の内ピカデリーとか丸の内ルーブル。各回入れ替え制と座席指定ともども、売り手の都合に合わせて知らず知らずに飼い慣らされちゃってた。IMAXで観ていないから偉そうなことは言えないけれど、スクリーンの大きさで閉館した渋谷パンテオンはなかなか越えられないのでは?と勝手に思っている。もっともワシより年上の映画通に言わせると、「お前ね、テアトル東京のデカさ知らないから、涼しい顔してそんなこと言えるんだよ」と突っ込まれることになる。
でも映画館のスクリーンが小さくなって、選択の自由が知らないうちに狭くなっているのは事実。消費者至上主義にはうんざりだけど、至れり尽せりのサービス満点のようで、映画の醍醐味が削がれていたのだ。で、ネガティヴな側面がそうだとすると、地方都市でも中身の濃いミニシアター系が拝めるのはやはりシネコンのおかげ。シネマライズにご無沙汰でも、結構上映作品を観ていたのには驚いた。よって痛し痒しながら、ミニシアター閉館が加速してしまう。ちなみにワシの場合過去最もでかいスクリーンで拝んだ作品は「グリーンマイル」。ところが半端な映画好きだけに映画館ではない。メーカーの招待で行った試写会で、場所は東京国際フォーラム。信じられない大きさを痛感しただけでなく、会場が真っ暗だったことが大きい。ロスで観た「L.A.コンフィデンシャル」も同様で、非常灯の光がないからクッキリと記憶している。映画にとって完璧な環境で観賞することは、実は滅多にできない体験なのです。
(10/27/2013)
シネマライズ
“シネマライズ1/7で閉館”の事実を知ったのは広告からだ。“虫の知らせ”か是枝裕和の新作が来年公開予定の一報を目にした後広告に目をやり、「黄金のアデーレ 名画の帰還」は未だ上映されてるんだな、ほうシネマライズでもやってるのか・・・なにっ!閉館!といった経緯。最後にあそこで観た作品は「しあわせはどこにある」になるわけだ。ただ今年の6月にはそんな気配はなかった。
急いでネットで情報を拾ったって時すでに遅し。閉館を知らされてがっかりするのは何度目か。これでまた渋谷に行く理由が一つ減った。外にはあれだけ人がいるというのに・・・。作品選択が“らしくなくなった”ことも一因だろう、しかしもっと深刻な事態がジワジワ進行しているのだ。ズバリ“習慣の変化”が急激に起こっている。知った経緯がものの見事で、“報じられている事”からではなく、“拾った事実から情報を自分で構築”。
なんでも与えられることから、自分に合った環境を自分で作っていく時代。忙しいったらありゃしない。物忘れも激しいからちゃんと記しておきます。「アメリ」、「ムトゥ踊るマハラジャ」の体験は媒体で取り上げられた通りなんだけど、「ガールフレンド・エクスペリエンス」はぎりぎりセーフだったなぁ、「ソウル・キッチン」から始まったのは2011年だ。
「ディーバ」のリバイバルに感激、「ワンダフルライフ」以来是枝裕和とお付き合いが始まったのもココだった。「ドラック・ストアカウボーイ」はオシャレだったけど、「ファーゴ」のしょぼい笑いも、「ドン・ジョン」の時に閉館なんて思いもしなかった。「それでも生きる子供たちへ」が2007年で、「バンク・ジョブ」が2008年で・・・。残念だけど、ありがとうございました。
(12/27/2015)
久しぶりに「ムード・インディゴ/うたかたの日々」をココで観て、作品傾向も合わせて変わっていないことに安堵。もっとも周囲は随分と変わったものだ(トシを痛感)。この劇場の作品選択はオシャレ(死語)がキー・ワードで、「ドラック・ストアカウボーイ」はまさにここで上映されていることが納得、「アメリ」も代表格。よって、「ムトゥ踊るマハラジャ」の上映期間が・・・、是枝裕和の作品もだいたいココで観た。ありがたかったのは「ディーバ」を上映してくれたことで、「それでも生きる子供たちへ」、「ソウル・キッチン」、「ガールフレンド・エクスペリエンス」などは印象的だった。ただビビーンとくる「君と歩く世界」、「ハッシュパピー
〜バスタブ島の少女〜」などは地方都市でも観賞可能になってしまい、結果ご無沙汰。続けていただきたいものだ。
(11/1/2013)
上映作品(50音順)
アーティスト アイム・ノット・ゼア
アバウト・タイム 〜愛おしい時間について〜 アメリ
アンチヴァイラル イヤー・オブ・ザ・ホース
ヴァンパイア 英国王のスピーチ 永遠の僕たち
エデンより彼方に エンロン巨大企業はいかにして崩壊したか?
ガールフレンド・エクスペリエンス 奇跡 君と歩く世界
キャラバン 空気人形 雲の向こう、約束の場所 コントロール
しあわせはどこにある 潜水服は蝶の夢を見る
ソウル・キッチン それでも生きる子供たちへ
大丈夫であるように-Cocco 終わらない旅- 茶の味
ディーバ ディスタンス ドラゴンタトゥーの女
ドラック・ストアカウボーイ ドン・ジョン
her/世界でひとつの彼女 バーダーマインホフ理想の果てに
Bubble/バブル バンク・ジョブ パンドラの約束
秒速5センチメートル ビック・リボウスキ
ヒトラー最期の12日間 ピンポン ファーゴ
フェアウェルさらば、哀しみのスパイ
ブラッドシンプル/ザ・スリラー プレシャス
ブロークン・フラワーズ ブンミおじさんの森
ポーラX 僕らのミライへ逆回転 ポンヌフの恋人
ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女 ムトゥ踊るマハラジャ
未来を生きる君たちへ
闇の子供たち 容疑者ホアキン・フェニックス
善き人のためのソナタ
リミッツ・オブ・コントロール レイ
レスラー 恋愛睡眠のすすめ
ロスト・イントランスレーション
ワンダフルライフ
観賞作品
“分からないけど楽しめる映画の典型”として自分の中で処理すれば、かなり後々まで記憶している1本。タイに関しては「マッハ」とか「レイン」しか見ていない無知丸出しだから、無理やりアジア・エリアとして認識しようと務めつつ、眺めることになる。「そうそう、死生観が西洋とは違うわけね、「ヒアアフター」とか「ビューティフル」とかアチラを恐れる傾向が連中は強いんだけど、我々アジア人は幽霊と一緒にいたって平気な風土があるものよ」などと納得しようとする(ワシの場合)。
それにしても妖精とは言え「もののけ姫」にも出てきた、猿のお化けがぬっと闇からにじり寄ってくればビビります。とはいえ一緒にご飯食べちゃったり、“物質を幽霊が持つのはおかしいだろ”、などという寂しいツッコミを入れずに済むのは、作品が緩やかなペースで描かれていることと、虫の音色のおかげですよ。自然の恵みは水や太陽の光だけでなく、醸し出される音も含まれることを、しみじみ感じ取ったりして(「チェ39歳別れの手紙」以来だな)。
ちょっと前に「The 11th
Hour」を見ているだけに“せっかちなのはグローバル経済の手先=マスメディア宣伝に踊らされているからだ”という薬が効いたのか、“アレなんか意味あるのか?”という視線ではなく、ひたすらボサーっと眺めて、ラストに唖然とさせられました、ぜひご覧になってご確認を。宣伝文句に使われているティム・バートンも含めて西洋人にはファンタジーなんだけど、「となりのトトロ」、「もののけ姫」だけでなく、「蟲師」が何故かそうは見えないんだよね。
オススメ★★★☆☆