名画座は今
スクリーンで見ることにこだわりのある映画ファンのためのアミュー厚木
「いしぶみ」を観に行く前日、同じ職場の人から「名画座に行くんだな」と言われ、「もうそんなのないよ」とピシャッとフタをしてしまった無情な私め。しかしながら“名画座”という単語が頭から離れなかった。果たして自分の記憶の中に、名画座なる劇場での観賞体験てあったかな?と気になり1ページ割くことにしてみました。そしてそれは、新たな映画体験をさせてくれる、映画館の発見につながった。
ミニシアターに関してはある程度知ってます。ただし二番館、三番館という呼称に馴染みはない。封切館で終わった作品や過去の名作を上映、それも料金は低めに設定されている、という認識は間違っていないと思う。80年代までは人々に共有されていた認識のハズです、「村上朝日堂の逆襲」p47“ベルリンの小津安二郎と蚊取り線香”にも記されていて、機能していることがうかがえる。
同時に“リバイバル・プログラムをやる小屋(映画館の粋な言い方?)はだいたいが小さいので、いつも満員”で、“レーザーディスクやヴィデオはとて楽である”とも書かれている。家で映画を楽しむ時代が始まっていて、レンタル屋と名画座が共存していたのが80年代〜90年代なのでは?私めは今からおおよそ28年前、二十歳の頃にレンタル屋で働き始めましたが、未だ名画座は残っていたと微かに記憶している。
その後人々には名作はレンタル屋にあるし、“いつでも見られる”という認識が広がり、“見る機会”と“語り継がれて当然の名作”が消えていく時期が来たともいえる。「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」の関連作として「ローマの休日」を載せましたが、ある年代にとってはベタな選択で、ある年代にとってはチンプンカンプンかもしれないと昨今は思うようになった。
午前十時の映画祭どころか「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」に至るまで、観客の高齢化は進行中。“映画は劇場でなければ意味がない”と思い知らされたのは「レヴェナント:蘇えりし者」なんですけれど、強烈な映像の作品だけが映画を成立させているわけではない。また洗脳に等しい宣伝で集客するだけでも廃れる。もっとも48歳のオッサンはそのしつこい宣伝に辟易して、嬉しい体験に至ったんだけど。
現在上映されている作品は稼ぎ時だけに超大作ばっかりで、上映スケジュールを眺めると、どのシネコンも同じに見える。じゃあくそ暑い中東京までのこのこ行って、ヘトヘトになって帰ってくるか?メラニー・ロランの「ミモザの島に消えた母」は渋谷だし・・・。そんなグチっぽい時、はたと閃いたのがアミュー厚木。ずいぶん前にwiredの記事で紹介されていたのをすっかり忘れていた。さっそく上映作品を検索。
目の前のPCを使えばとてつもない量のぴあ(かつて我々が重宝した映画雑誌)があるんだから。というわけで行ってみましたけど、ホントに久しぶりに映画館に行くこと自体を楽しんだ。ビルの9Fにあって3スクリーン、印象は「アメリカン・アウトロー」を観たキネカ大森に近いですかね。「ルーム」がまだ上映されていて、「ノーマ、世界を変える料理」もそそりますが時間の関係で「マジカル・ガール」をチョイス。
これが大当たりの1本で、ジャック&ベティの近所に住んでいないことを嘆くかのように、厚木に住んでいない自分が悲しくなったりして。上映前に作品の解説をされたのは初めてで、その辺もお気に入りを決定づけました。上映作は未だパッケージ・リリースされていなものばかりで、まさに“封切り終了した作品を上映する”二番館の役割を担っている。スクリーンで観ることに、こだわりのある映画ファンのためのアミュー厚木、この発見は私めにとってのニュース。
(7/26/2016)
観賞作
夜間もやってる保育園 女神の見えざる手 ヒトラーに屈しなかった国王
人生はシネマティック! Ryuichi Sakamoto CODA 永遠のジャンゴ
はじめてのおもてなし ナチュラルウーマン ロープ 戦場の生命線
おだやかな革命 しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス
きみへの距離、1万キロ ラッキー フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
関連作
シネコンの上映スケジュールにガッカリするより、野心的な映画館を探す方がぜーんぜん身体に良いことをアミュー厚木は教えてくれましたが、それにはこの病んだ現代を背景にしたフィルム・ノワールが不可欠。新しい才能は次から次へと出てくるのです、単純に見逃してるだけ。隣で21世紀に相応しい感動作の「ルーム」も上映されているけど、本作の監督も“地に足がついている”カルロス・ベルムト。
“初監督作は気合が入る”パターンで、“かつて見たこともない世界”が展開する。とは言っても私めが苦手な「恋の罪」の園子温とか「ニンフォマニアック Vol.2」のラーン・フォン・トリアーに作品のニュアンスは近いかもしれない。イントロは“白血病で余命わずかな娘の願いをかなえたい父親が偶然会った人妻と…”難病の娘の願いを叶えるだったら感動作なんだけど、枠組みはコメディともいえる。
娘が大好きなのは日本のアニメ魔法少女ユキコ。明らかにセーラームーンなんだけど、女の子=アリシアが杖持って踊っているバックには、長山洋子の歌が流れている。日本アニメに造詣が深いとはまさにで、演歌歌手として認識されている長山洋子には「ファイブスター物語」の主題歌を歌った過去がある。ただしどーしても笑っちゃう「キル・ビルVol.1」の感じがないんだよね。
元教師の父親=ルイスは失業中で持っている本を売っても娘の欲しがっているコスチュームには手が出ない。思い余って宝石店に石を投げようとした瞬間、上からゲロが降ってくる。吐いたのが人妻で、このバルバラが訳あり。ここまでの過程は予告編にもあった通りで、この枠組みを書いたり話したりしてもコメディにしか聞こえないのに、観賞中はずーっと緊張感が張り詰めたサスペンスにしか見えない。
あえてクドクド説明しませんが、これは監督の技だと思う。意地の悪い映画を撮らせたらデヴィッド・フィンチャーだけど、それとも違うし「ボーダーライン」のドゥニ・ヴィルヌーヴとも違う。まさに新しい才能の誕生に立ち会っている感覚が心地よい。“余分な説明”を省いて観客に想像の余地を残しているさじ加減も見上げたもので、バルバラが脅されて稼ぐ方法も鬼気迫る。
いくらでも想像させるし、予測不能の展開だったから再度DVDでリリースされたら確認したいとも思うけれど、脳裏に焼きついて離れないくらいインパクトのある怖さが刻印されちゃった。これは劇場観賞の効用で、帰る道々ズシーンと来た作品を昨今目にしてなかった。短絡的ですけれど、また鬼才と呼ばれる映画監督が世に出てきた。ただし、醒めた目線で世の中を見れば、この人がまともで世界の方がどうかしているという気もする。
現在(7/26/2016)公開中なれど、7/29/2016までです。
オススメ★★★★☆