ここにテキスト
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きみへの距離、1万キロ |
週の初めに1本観ていたのですが、退屈すぎて途中で眠くなってしまった。“自分で観てつまらなかったら、黙殺”が当サイトのわずかなポリシー。よってスルーなんですけれど、シネコンで上映される超大作の今後は暗そうです。まぁ、スピン・オフは外れることが多いのは分かっておりましたが・・・(アレは合格ラインで、アレはスレスレ)。あの監督が手がけたわけだし、本伝は2回も劇場に足を運んだのに・・・。
じゃあ映画を見限るか、もうオレもトシだし、足繁く劇場に行くわけにはいかない事情もあることだし・・・。そんな時こそ頼みの綱になるアミューあつぎ映画.comシネマに助けてもらうことに。この状況は1月にもあって、だんだんシネコンから遠のいていきそう。トシのせいか?行き詰まっている資本主義がそうさせるのか?マスメディアを完全にシカトしているからか。
で、本作の監督はカナダのキム・グエン。前回が「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」で、かの国の作品が続いております。予告でピンときますよ、デトロイトで石油パイプラインを監視している青年と北アフリカの少女の、距離を隔てた恋物語。デトロイトが厳しい状況にあるのは「TOMORROW
パーマネントライフを探して」で垣間見たし、特殊な才能を持たない若者は“残された単純作業”に従事して生きていくしかない。
対する北アフリカは幸福なのか?ここにも疑問符はついて、本人の意志とは無関係の縁談が進められてしまう(「裸足の季節」をご参考までに)。もっともお国柄を批判するのではなく、タイトルの“EYE
ON
JULIET”が示すように、舞台装置として使用、よって国名は告げられない。ただし、国の整備が整っていないのは水を配るトラックで推察される。水道のない地域は、もちろんココだけではありません。
望まぬ縁談を迫られている少女、彼女と別れたばかりで不毛な日々を送る若者、2人を繋ぐのがIT機器というのは今日的。アメリカ映画であれば「ステイ・フレンズ」と「her/世界でひとつの彼女」の合体技で十分のようですけれど、それでは男の子向けで終わってしまう。より広範囲の人々、つまりは世界中の人々が共感を覚えるならこの戦略で行くのは正しいし、設定だけで気になっちゃいます。 |
青年ゴードンが住むデトロイトは衰退しつつも安全ながら、少女アユーシャは北アフリカ、逃避行と言ったって命がけです。まず海を渡るだけでもヤバイし、たどり着いてもそこで生きていけるか?21世紀の世相を反映しつつ、遠距離監視の装置を人殺しに使わず、見守るための道具として登場させるとはニクい。
ロボットで監視して鉄砲を撃つだけでなく、盲目のジイさんを連れてってあげるシーンがイイんだよね。もし2人だけだったらオッサン退屈するところでしたけれど、本作には私めが大好きな「DIVA」を思い出させる記号が2つ出てくる。ひとつは盲人で、もう一つはアユーシャの乗るバイク。自転車にエンジンくっつけただけって感じのアレ(確かモビレットとか言ってたな)はねぇジーンときてしまうのですよ。
稚拙というか、ちょっと無理やりな感情表現の演出も認められる(ゴードンが切々とアユーシャに語る部分とか)。ただ、それは観客へのサービスで、淡々と「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」みたいに進行されたら恋愛映画にはなりません。パリが出てくるのも「15時17分、パリ行き」があったばかりだし、「グランド・イリュージョン」なども思い出させてくれるし悪くない。
そしてなんと言ってもラストは「ワンダーランド駅で」に近いわけ、オッサンはたまらないんです。でも、宣伝で「君の名は。」を引っ張ってくるという下世話さはなかったのかな?もったいない。それにしてもゴードンが持っている端末はスマートフォンにしては大きいし、タブレットにしては厚みがあったし、気になるところです。ま、探せば時代に適した新しい映画はちゃんとある、それがなによりです。
現在(7/6/2018)公開中ですけれど、7/13までです
オススメ★★★★☆
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追記:母の退院、そして・・・ |
3/19にくも膜下出血で倒れ入院した母がやっと退院した。7/2のことだから、4ヶ月近く家を空けていたわけだ。その間に私と弟はエライ目にもあったけど、気づかせてもらうこと、学んだことは多い。気づいた点は“母に任せきりだった”ことに尽きる。このド田舎で、昭和時代とあんまり変わらない暮らしを続けるとなると、それなりに自分を適応させていかなければならない。
近所との連携、お寺さんの行事も忘れてはならないし、両親の友人知人も把握しておく必要があるし、親類縁者のことも・・・。PCにかじりついて生きていける世界ではない。もっともIT機器が役に立つ場面もあった。母親のリハビリ過程で、参考までに家の写真を撮ってきてくれとのこと。スマートフォンで写してUSBメモリにコピー、その画像はメディアでは困るそうなので、コンビニで印刷。この種の作業は未だスポーツ新聞を読み、TVを見て、昔ながらの携帯電話を使用している弟には無理。
とは言っても弟はご近所を把握していて、お見舞いのお礼も全て任せっきりだったし、彼を欠いてはやはり追い詰められていただろう。5年前からここで暮らし始めた私には無理な相談。もちろん我々2人はただ待って家を守っていただけなので、帰宅してからの生活に関して、リハビリ科の人々、ケアマネージャーさんの助けがなければ、とても退院にはこぎつけなかっただろう。
そして母が家に帰ってきただけでは状況は収束しない。母が日常を以前に近い状態で送れるようになったら、父親を介護施設から連れ帰る過程に移る。そのまま放り込んでおけば楽かもしれないが、それは冗談に過ぎず、どうなることか。あまり明るく楽しいイメージはわかない。だからといって逃げ出すことなどありえず・・・。こういう思考が進行して、負のスパイラルとやらに陥るのかもしれない。
だが、お世話になった人々の顔を思い浮かべたら、そういう邪の想念みたいなものは払拭できると思う。「直す気がある人なら大丈夫」と太鼓判を押されたし、看護師さん介護士さんたちの努力を、無駄にするわけにはいかない。奇異に聞こえるかもしれないが、個々人が原子核化してしまった21世紀は、家族が一緒で当たり前とはいかないし、それなりに運用の努力が必要になるのだ。
介護マネージャーさんから「戻ってきても、お母さんは3割程度の力ですよ」と事前に告げられていて、ありがたかった。じっさい年相応に老け込んでいるし、以前ほどの動きはできなくなっている。これは事実で、嘆いたところで始まらない。こういう時にマスメディアの垂れ流すショウはただうるさいだけ。「きみへの距離、1万キロ」にニヤリとしてしまうのです。父の帰宅は8月になるだろう、未知の領域に進んでいるようなのは気のせいか?
(7/8/2018)