帰ってきたヒトラー
原作を買ったのは3月、切り刻んでスキャン、テキストデータ化してタブレットに突っ込んで、とうとう読了せずに映画に臨むことになった。自炊のせいにするのは本末転倒ですけれど、並行して何冊も読むなんて芸当は読書家でもないんだから・・・。ただ徐々にではありますけれど、IT機器との付き合い方は掴めてきた。世の中がもっと平和だったら、呑気に構えていられるけど、今の日本の情勢はそれを許さない。
途中までですけれど原作の狙いは、悪名高き独裁者を21世紀に登場させ、現在あちこちに芽が出てきた“蓋をしておいた邪悪なもの”を炙り出すのが第一。そしてこれは勝手な解釈ですけれど、もの凄いスピードで進化し続けるテクノロジーに巻き込まれる50代の目線も作品の中に込められている。ただし、ホントに時代が先に行ってる証拠に、ヤツが登場するのは原作が2011年、映画では2014年と描き方に差が出た。
たった3年ですけれど、TVとYouTubeの位置は逆転している。今や人気に火がつくのはYouTubeが先で、TVは遅れるという描き方にしないと説得力がない。更に自前で撮影した動画というのも重要になってきている。半人前のザヴァツキとドイツを旅するヒトラーはどことなく「スティーヴとロブのグルメトリップ」みたいですけれど、この作品が目指したのは「ボラット」、「ブルーノ」の方面。
史上最悪の独裁者を路上にさらしてモキュメンタリーとは効果的。「容疑者、ホアキン・フェニックス」なんて可愛いもので、顔を見れば一発で分かる男を描くのではなく、ヤツを見ている人々を映し出す。確かにソックリだから嫌な顔をする人がいて当然だけど、笑って近づく人やら信奉者まで出てくる。実は差別意識を内に秘めてるフツーの人までだからすごい。おまけに絵まで描かせちゃうし、洒落の範疇を超えてる。
本作におけるタイムスリップはただの方便で、とんとん拍子に人気急上昇する背景を現実の映像を交えて描くやり方は、ブラックジョークでは済まされない深刻さを示している。笑える部分もあったけど、作り手が今を真剣に考えていることは嫌でも伝わってくる。特にザヴァツキの彼女がユダヤ人で、一緒に住んでいるばーちゃんのセリフにこの監督の真骨頂を見る。
結果的に“悪は栄える”と嘆くか、警鐘として受け止め現在悪化の一途をたどっている、自分の身の回りを真剣に考えるかは受け手次第。嫌というほど映画に描かれてきた独裁者ヒトラー。「ヒトラー最期の12日間」があるので、嫌な気分は払拭できますけど、“根の深い人類の病癖”であることは「顔のないヒトラーたち」で昨今再確認することになった。たとえ11:25開始のTOHOシネマズ新宿が満員でも、後味悪いんだよなぁ。ああいうのを放ったらかしにしていると、我々が被るのは「黄金のアデーレ 名画の帰還」みたいなことなんだから。
現在(6/20/2016)公開中
オススメ★★★☆☆
関連作
アウシュビッツの収容所に関して、知ったふりしていた自分が恥ずかしくなる重要なドイツ映画。路上にユダヤ人への罪科を刻んだ姿勢を「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」では称賛されてましたが、そこに至る道は決して安易ではない。戦後は忘れたふりして元の生活していた人ばかりだったんだもんね。今の日本でも「蒸し返すのか!愚か者!」と怒鳴り散らすバカが威張っているけど、「秋刀魚の味」の頃からどれだけ日本がダメになったかの動かぬ証拠です。
「カルラのリスト」が参考になりますけれど、事情はほとんど同じで当時のドイツの権力者はヨーゼフ・メンゲレ(「ブラジルから来た少年」を参考までに)を平気で見逃していた。お仲間意識は権力者にとって重要な資質だけに、メンゲレは涼しい顔して南米と本国を行ったり来たりしていた。若き主人公ヨハンの頭に血が上るのも当然で、乗り込んでいってとっ捕まえようとする。
この件が歴史に残ったのは彼だけの功績ではない。彼の上司検事総長の肝が据わっていて冷静に促すし、秘書だってつらい面談に立ち会う。一緒に怒鳴っちゃいましたけど、最初は乗り気じゃなかった同僚のハラー検事が、ヘラヘラしている弁護士に言い放つシーンは忘れられない。話を持ち掛けたジャーナリストも根性入っているし、今の日本からどっか行っちゃったモロモロが描かれているように見える。
やはり「憲法の無意識」を読んでおいてよかったですよ、今の権力が奪おうとしてもちょっとやそっとじゃ出来ない。能力がないからデカい声を出すしかない連中はIT化してきれいサッパリ・・・、実はこの発想そのものに呪いが潜んでいる。徹底的に叩くのではなく、立ち止まってよーく見ておかないと、ワルの側に加担しちゃうのだ。他者を攻撃する“根の深い人類の衝動”はマスコミに焚きつけられやすい。そんな時はプールで泳いでクールダウンするのも良いかも。
オススメ★★★★☆