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トゥ・ザ・ワンダー

  トゥ・ザ・ワンダー

 

 難解と称されても、このくそ暑い中肝は冷やしたから目に涼しい映画が観たかった。ホームページで見た予告編は撮影監督エマニュエル・ルベツキの手腕が発揮されているし、恋愛映画の年(「風立ちぬ」「君と歩く世界」「世界にひとつのプレイブック」)と思っているので行くしかない。もちろんレイチェル・マクアダムス出演も観賞誘因剤。それにしてもリリースのスピードは上がる一方で、「ツリー・オブ・ライフ」から寡作の作家なのに、2年で新作公開。技術革新はそのまま旧態依然の概念を駆逐してしまいそうだ。映画館での公開から店に来るのは1年後なんてのはずっと前で、もう5ヶ月を切るのも常態化している。そして我が職場=レンタル屋は風前の灯となった。予想していて、実は今か今かと心構えをしていたけれど、眼前に迫ると万感の思いですよ。パッケージ・ソフトがなくなると同時に中身(コンテンツ)に対する人々の捉え方も確実に変わる。

 

 昨今思うのは概念、習慣の消失が起こっているのでは?もちろん音楽も映画もなくならない。単純に視聴スタイルが変化するだけだ。同時に情報量が爆発的に増えて、パラダイム・シフトとやらを思い知らされているのかもしれない。インターネットの普及により、リゾームの概念を知り、爆発的な量の情報により固定化した幻想(今まで常識とされていた概念など)は破壊される。不変を求めようとするのは人間の性で、変化に適応するのは動物性のなせる技か?最近はコンピュータの前に座っている時間がどんどん増えて、画面に映っている外部化した自分の思考ばかり見ているせいか、ものの考え方が独りよがりだ。周囲に話を合わせて高校野球の話題とか適当に受け応えしているけれど、心中は“世界のスピードは秒進分歩で、TVと同じこと喋っているぜ”と人を断定したりものすごく危険。

 

 そんな時は自然美に触れるのが一番。たかだか作り物(パソコン、スマート・フォン)に操られてなるものか。全編独白で貫かれている本作は、確かに画は現実から遠のかせてくれるけれど、浮世離れしていない。冒頭は列車に乗っているベン・アフレックとオルガ・キュリレンコの2人が映し出される。切実さではなく、情緒のある列車の旅が作品世界に観客を導く。パリの街角を2人を追うカメラが、絶妙に華の都を切り取る。「ミッドナイト・イン・パリ」は“パリに来ましたよ”といった雰囲気だったけど、「シルビアのいる街で」に負けてなるものかの心意気かもしれない。ここでオルガ・キュリレンコの独白が延々と続くんだけど、イイんだよねぇ、フランス語だけに涼しげです。「007/慰めの報酬」からこの人を観始めた者としては、先々月の「オブリビオン」など“クッキリした美貌”がこの人の売りと思いがちですがごく自然です。マリオン・コティヤールだったら?の仮定も頭をよぎる。

 

 観ていて恍惚と作品世界に入り込んでしまうのは、風景がもう絶品で、前作でも水面の描写が印象的でしたけれどたまりません。寺院を描いても、デジタルカメラを使いこなしているんでしょう、撮影監督の技量のおかげさまで「はぁー」とため息をつくばかりに画面に釘付け。で、美の保存に国家を上げて取り組んでいるフランスから合衆国に飛ぶと、残されている“そのままの自然美”にもボサーっと入り込んでしまう。ウディ・アレンは本国の“世知辛い景色”を避けてのヨーロッパ探訪か?と思われますが、ちゃんと田舎には残っているのです。平屋の家とか夕暮れとかバッファローとかね。2011年には前作もありましたけれど、「四つのいのち」などの余地のある作品にホッとしたものですが、昨今どうも余裕のある映画を見ていないことに気づかされる。知らないうちに“余地なく固まっていく世界”を生きている自分を発見。

 

 景色は絶品で、当たり前のように画面を注視することができるから、字幕はたまに眺める程度で良いのです。私めの場合そこに差し挟まれるのは、画面への解説程度と受け取って本作を楽しんだ。ま、教養があれば画面に対してセリフが“何を意味している”かも分かって、面白さが増すかもしれませんけれど、後の楽しみに取っておいても問題なし。哲学的思索の作品と称されている代物を、納涼映画として楽しんだってバチは当たりません。ま、可愛いレイチェル・マクアダムスにはニヤニヤだけど、ベンとハビエル・バルデムの部分はわりと伝わってきた。ベンは水質調査をしている人で、美しい自然が残る合衆国なれど、汚染がある事実を示す。人心の荒廃を見つめ続ける神父には、信仰への揺らぎがある。寡黙なベンも伝説の監督作品出演だから気合入っているし、「007/スカイフォール」の人とは思えない、ハビエルはこの手の作品だと魅力的ですな(「BIUTIFUL/ビューティフル」)。神父の独白はスペイン語なので、また違った音を作品世界に響かせる。

 

 角度を変えて何度でも楽しめる作品です。ホントに詩を読むのに似ていて、退屈していた人もいるだろうけれど、また何年か経って見たら発見があるかもしれないし、違った状況で出会うと食い入るようになるかもしれない。経年熟成するのではなく、すでに完成された世界で、観客は自分の変化を発見する映画なのかもしれない。時代記号としてパソコンの画像通信があるけど、IT機器に関しては最小限にとどめている。そしてなによりテレンス・マリック慣れした私は「シン・レッド・ライン」に改めて驚かされることになったのです。

 

現在(8/19/2013)公開中
オススメ★★★★☆

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  シン・レッド・ライン

 

 既に書いてますが(「ニュー・ワールド」「ツリー・オブ・ライフ」)、劇場で観た時はサッパリだったし、ウトウトしちゃった。ところが「トゥ・ザ・ワンダー」でテレンス・マリック慣れして再見したら、素晴らしい戦争映画だということが分かった。つまり劇場に行って、席に座っていたのに“スクリーンを観ていなかった自分”を発見するハメに。負け惜しみですけれど、“初見で分かった気になる映画”はサービス重視で、中身が薄いのかもしれない。さすがは哲学の先生テレンス・マリック。初見で覚えていたのは豪華共演で、ショーン・ペン、ジョン・トラヴォルタジョージ・クルーニーなんだけど、再見して印象的なのはジョン・C・ライリー(「おとなのけんか」)、エイドリアン・プロディ(「ブラザーズ・ブルーム」)、そしてイライアス・コティーズ(「モールス」)。なんと「レンタネコ」の光石研までとは恐れ入ります。

 

 冒頭は脱走兵のジム・カヴィーゼルが「ビューティフル・アイランズ」みたいな島で楽しくやっている。で、今(「パーソン・オブ・インタレスト」)とあんまり変わらない彼が、連れ戻された先には戦闘が待っていて、それがガダルカナル島の攻略戦。劇中ほとんど固有名詞が出てこないけれど、戦争映画を見続けてきた人たちには、話される作戦概要、捕まった日本兵の姿からあの戦闘だということは判別できる。実際に当時の状況を知りたければ「ゆきゆきて、進軍」があるし、独白で味付けしなければ、とてもじゃないけれど凄惨極まりないものになってしまう。ただし、人間の業=戦闘と自然との対比で描くのがこの監督の真骨頂で、描き方は「ザ・マスター」へと受け継がれている(と勝手に解釈)。

 

 “戦争映画には見えない”というのがそもそも偏見で、ジョン・キューザックウディ・ハレルソンも出番は少ないけれど、目つきがギラギラしている兵士に化けている。合衆国のスター俳優を結集し、戦闘のシーンだって迫力があるし、南の島だけに日差しの強さがクッキリと刻まれている。後に撮影はエマニュエル・ルベツキに変わりますけれど、「クラウド・アトラス」担当のジョン・トールがカメラマンで、音楽担当がハンス・ジマー。この後テレンス・マリックという人が、より“個的な視点”から世界を見据える作品に傾斜していったことが、図らずも見えてくる。戦闘の中にあって、“部下を無駄に死なせない”ことで更迭されてしまう、イライアス・コティーズ扮するスタロス大尉が現時点(8/23/2013)で最も印象に残ります。
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