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The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛

  The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛

 

 アウンサンスーチーという人に対して周りに聞いてみると、「知らない」から「名前なら知っている」の間に落ち着く。それが良いとか悪いとかではなくて、ワシの認識も“ミャンマー民主化運動の象徴”の域を出ない。それは知ろうとしない、関心が向いていない証拠で、知ってしまうと、日々目にするニュースへの見方が変わる(もっとも最近は目にしなくなった)。映画の機能“伝え、残す”によってずいぶん世の中の見え方は変わってきましたけれど、世界は微動だにしない。分かりきってる“どう考えたってそりゃあないだろ”という現実を映画は描くことはできるけれど(「J・エドガー」)、そう簡単に変えられないのが常。もちろんこの作品が起爆剤になって、一気に情勢は変化したりしませんけれど、自分の中にある“なんで?”から解放されました。

 

 ごく素朴な疑問なんですけれど、フランス映画(「ラルゴ・ウィンチ裏切りと陰謀」)、合衆国映画(「ランボー 最後の戦場」)ともにかの国をビルマと呼び、日本のマスコミはミャンマーと呼ぶ。本作では一度としてミャンマーとは口にされない。何ゆえの部分は語られませんけれど、調べると分かってくる。ちなみにインターネットで検索すると、日本語で“ビルマ”と入力して検索すると“ミャンマーWikipedia”が最初にヒット。しかし“burma”と入力すると、“Burma - Wikipedia, the free encyclopedia”がヒットして、“Burma, also Myanmar:ビルマまたはミャンマー”と出てくる(7/25/2012現在)。電車に乗って眺める車吊り広告ではもちろん“ミャンマー”で、きっと何かあるに違いない・・・は考えすぎだと思うけれどキナ臭い。「ビルマの竪琴」がある割には、この“ミャンマー”という呼称が日本メディアは好きみたい。でも情勢不安で、あの政権の国に行ってビジネスなんてできるのかな?「マシンガン・プリーチャー」 を観ていたので、“スーダンに自衛隊が派遣される”というニュースにドキリとしましたけれど、“知らぬが仏”ならぬ、“知らせないと仏”。

 

 もちろんここまではあくまで副次的な要素です。スチャラカ映画「フィフス・エレメント」「アデル」なども撮るリュック・ベッソンが正攻法で挑んだ偉人伝、見応え十分でした。彼は一度「グランブルー」で実在のダイバー、ジャック・マイヨールを描いていますけれど、丁寧に事実に即して過度に傾斜しないように描いている(でも軍人がお告げで決めるって凄いね)。もしオリヴァー・ストーンが手掛けると、陰謀とおっかない部分に特化して暴露する方向にいってしまいそう(「ミッドナイトエクスプレス」)。アウンサンスーチーの半生を描くことで、ビルマの歴史も同時に盛り込むことができる。「ミラル」でも登場する女性たちを描くことで、エルサレムの歴史に触れられましたけれど、「ガンジー」の非暴力を貫く彼女はまさにかの国の中心人物。もしフィデル・カストロ(「コマンダンテ」 )のように実行していたらとも思いますが、現在進行形ですのでどのように推移するか分からないし、明確に、詳細に描くには生々しいのでしょう。

 

 アウンサンスーチーを演じたミシェル・ヨーは最初からではなく、だんだん似てくるのが凄い。「バビロンA.D.」以来ご無沙汰でしたが、最初は未だ肉付きがあるからそうは見えなかったけれど、痩せてくるとだんだんアウンサンスーチーに瓜二つに見えてくる。ボンドガールも演じたし(「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」)、「グリーン・デスティニー」も良かったけれど、説得力のある演技で世界に訴えようとする。マシンガンを前にしても怯まず進む彼女は「アレクサンドリア」レイチェル・ワイズのように凛々しい。またロンドンの家庭を守る夫役のデヴィッド・シューリス(「戦火の馬」見逃した!)は双子を演じ分け、冴えないように見えるけれど根性のある学者で、国際社会に働きかける。2人の息子を育てつつも、タバコ止めないから・・・。最期まで付き添うカーマ役のベネディクト・ウォンも印象に残る人で、「ラルゴ・ウィンチ宿命と逆襲」とか「月に囚われた男」 にも出演だそうな。

 

 ニュースの枕詞に“ビルマ建国の父の娘”が付いていれば、見方はかなり変わっていたと思われる映画が好意的に描く偉人伝。ネルソン・マンデラ(「マンデラの名もなき看守」「インビクタス 負けざる者たち」)しかりで、タイトルに“Lady”が付くといっても、鉄の女とはずいぶん違います。この手の題材をリュック・ベッソン が手掛けるとは意外でしたけれど、音楽のエリック・セラにしてもぜんぜん今までとは違う印象がある。そして“撮って当然の人”が映画化するより良かったのでは?どこかで圧力がかかるかもしれないし、圧力をかける国が日本だとは思いたくない。でも公開されるんだから大丈夫だよね、「バトル・イン・シアトル」 だってちゃんと店にあるんだから。

 

現在(7/25/2012)公開中 
オススメ★★★★☆ 

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関連作

  バトル・イン・シアトル

 

 パッケージがイマイチの印象だし、アクションの棚に置かれてしまうけれど内容は実に重要な1本。それは出演している面々を見ると一目瞭然で、「スタンド・アップ」の2人シャーリーズ・セロンウディ・ハレルソン、レイ・リオッタ(「ドクソルジャー」)、チャニング・テイタム(「第九軍団のワシ」)、イザックド・バン・コレ(「リミッツ・オブ・コントロール」)、コニー・ニールセン(「パーフェクト・センス」)ときて「アバター」のミシェル・ロドリゲス。皆さんやる気満々で、意義ある作品ゆえの熱演でしょうか?ところがこの豪華な人々は脇で、アンドレ・ベンジャミンと「エミリー・ローズ」以来ご無沙汰のジェニファー・カーペンターがメイン。監督が「リーグ・オブ・レジェンド」の美青年スチュアート・タウンゼントで、題材が“際どかった”から2007年の本作以来彼のことは最近(2012)は見かけなくなった。

 

 際どい内容はWTOに関するもので、「フード・インク」 などが扱った問題はその一部。加えて医薬品に関すること、開発途上国への搾取等々かなり生々しい。TVのニュースだと“国際会議に反対するデモ”の映像として処理されて、チラッと映して「次はお天気です」と上手く誤魔化されてしまう。しかし本作のカメラはそこに踏み込んでいく。実際に起きたシアトルの暴動を、当時の映像を交えて描いていく。もちろんデモを起す人々だけでは偏ってしまうので、鎮圧する側の当事者=警官隊もキチンと描くことを忘れていない。よってそこにウディ・ハレルソンやチャニング・テイタムが配されていて、トップの市長がレイ・リオッタ。デモする側も鎮圧する側も“被害者”なのが暴動で、問題の当事者(為政者、ロビイスト )は涼しい顔で職務を遂行できる。

 

 アホ面さらしてTVを見ることが悪事に加担しているとは思わないけれど、ジャーナリスト魂を貫こうとするレポーター役のコニー・ニールセンをスパッと排除してしまうのはTV根性。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのアルバムに“The Battle of Los Angeles”があるが、グローバリゼーションに反対する人類は、大勢いることも同時に示している(エンディングは必見)。公開は見送られて、レンタル屋の棚でもパッケージ・デザインがどーしても垢抜けないから忘れられがちですけれど、「ドクソルジャー」とか「戦場カメラマン 真実の証明」とか「バンバン・クラブー真実の戦場−」 とかに負けない優れものです。もちろん今の日本に必要な1本。
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